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最終年事業をどう取り組むか

『ノーマライゼーション』2001年02月

運動能力を強めなければ

 率直に言って、いろいろな想いがある。そのいろいろな想いは、いろんな場所で公式・非公式に話し、あるいは紙上に書いてきた。しかし、事はほとんど動かない。むしろ後退局面が最近では目立ちさえする。腹立たしいが、この状況に対する障害者側の運動能力は残念ながら今、弱いのである。
 社会福祉基礎構造改革は、障害者施策を中心に進められたにもかかわらず、正確な対応を為し得なかった。高齢者福祉は介護保険法へと軸足を移し、児童福祉は法改正によって別の制度に変えられたあと、障害者福祉の基本的な制度となっていた措置制度を事実上廃止して、契約制度への移行を許してしまった。
 私は「措置制度悪」論に疑問を呈し、納得のいく答を引き出せないため、事実上反対の意志を固め、その意見を述べてもいた。しかし、障害分野のリーダーの多くが肯定論に立ち、大多数は意見さえも表明しなかった(できなかった)という状況のもとで、私は「賛成できないが反対もしない」という、妥協的で不誠実な態度を表明したのである。
 福祉新聞1月1日付の一面トップ記事で、わが国の社会福祉の理論的指導者である仲村優一先生の論文が載っており、この中で“「措置制度悪」論は誤り”と指摘されている。その核心部分を改めて紹介しておきたい。
 “福祉の措置から福祉サービスの選択利用への転換は当然の在るべき方向であるが、その場合、措置と利用の制度を二律背反的に捉えて、措置制度を望ましくない悪い仕組みとして見るのは誤りである。先進開発国の社会福祉の歴史を見てみると、どこの国でも措置的な制度によって福祉サービス提供の仕組みを組み立てる方式を、多かれ少なかれ採用してきたのである”―後略。現に先進国の多くは措置的な制度で障害者福祉を実施しており、措置だから選択も、自立性も対等性も保障されないという理屈が成り立たないことは、多少ものを知っている人にとっては難しい話ではない。にもかかわらず国が強い意志で、論理性のない理屈をつけて「措置制度悪」論を打ち出すと、それに抵抗できない弱さを私たちは運動の内部に持っているのである。仲村先生にはもっと早くこれを指摘していただきたかったと思う。残念である。
 最終年の事業を進める前提として、私自身を含む運動側の弱さについて、率直な反省をするところからはじめたいと思う。

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なんのための最終年フォーラムか

 20世紀の評価のひとつに、科学・技術の飛躍的発展があげられている。その核がITであり、前世紀後半から開発が進み、加速をつけて新しい世紀に引き継がれることになった。
 IT革命といわれるように、これは革命である。農業社会→産業社会→IT(知識)社会への革命的な変革の時代に入ったのである。コンピューターをどううまく使うかとか(それも大事だが)、IT産業をどうこうするのではなく、ITに先導されて社会全体が変ると認識しておかなくてはならない。その中には、依然としてわが国に残されている農業社会的な家族制度のこともある。先進国では18世紀の産業革命後、徐々に世帯単位の社会から個人単位の社会へと移行した。
 工業化社会では人口の都市集中と核家族化が進行するため、家族制度の変革も当然のごとく行われたとみられるが、この国は、実態は個人単位の社会に変化しているのに、法制度は旧い農業社会の家族制度を残したままである。
 私がこのことをくり返して言うのは、そのことが障害者の自立、ノーマライゼーションの実現を妨げる構造的要因となっているとみるからである。最終年フォーラムでは、このような構造的要因をも視野におき、すべての障害者が、生まれ育った地域で市民として生活をする条件をどうつくるかを、主題としなければならない。
 精神障害者問題はまさに閉塞状況におかれたままである。障害行政の総合化と言いつつ、障害保健福祉部のひとつの課とはなったが、実態は局が違っていた当時と少しも変わっていない。政府の奨励策と、精神科専門医以外の多くの医師によって進められた精神障害者の隔離収容を目的とした短期間での大増床は、世界の潮流とは逆に、今も34万人近い入院患者を維持し続けており、実態福祉はほとんど進んでいない。知的障害者も3分の1が入所施設で生活させられている。その背景には、地域に住む精神障害者や知的障害者のほとんどが親や家族のケアなしには生活できない状況があることは周知のことである。介助を要する重度身体障害者や重複障害者も同様である。家族が入所施設や入院を求めざるをえない根本的な理由である。
 この国で本当にノーマライゼーションを実現しようとすれば、家族制度、所得保障、地域ケアシステムの構築等を一体的、総合的に進めることが必要である。私たちの運動はそこへの道をつけなければならないのである。大事業であるだけに、従来のやり方では実現が難しいことを認識させられている。それはこの問題が大きい政治課題を含んでいるからである。行政レベルでいくら要望しても、到底力が及ばないことをこれまでの経緯が示している。したがって、私たちは、この問題を政治の舞台に上げ、政治の力を得られるような運動として取り組まなければならない。最終年フォーラムは札幌でのDPI世界大会を含めて、そこをめざすことである。

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