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重度障害者の在宅就業において、福祉施策利用も視野に入れた就労支援のあり方に関する調査研究

第1章 「在宅で働きたい」と願う人々と社会 <その歴史と現状>

1.1 「在宅就業支援団体」誕生前夜 −それでも人は働きたい−

(1)1980〜90年代における在宅就労 〜草の根レベルの取組と通信技術の発達〜

 障害のある人の在宅ワーク(在宅就労)が胎動したのは、今から約30年前、1980年代に遡る。この時代はパソコンの技術や通信インフラが一般家庭にも普及し始めた時期でもあり、障害のある人の職業リハビリテーション分野においては、職能開発や働く機会の拡大に取り組む支援団体等による、草の根的な在宅就労支援活動の萌芽が見られた時期でもあった。

  現在の在宅就業支援団体のひとつ、東京コロニーの当時の取り組みを例に挙げると、1975年に、重度身体障害のある人たちの職域開拓を目的とした情報処理事業の開始が見られる。これは、当時コンピュータ業界や印刷業界からの需要が高かった、コンピュータを使った情報処理業務に着目したものである。次いで1984年にはこうした人たちにあった就労形態の可能性を追求すべく、コンピュータ・プログラマーの養成および在宅就労システムに関する研究事業に本格的に着手している(注)。その後、今で言うe-ラーニングの前進ともいえる「東京都重度身体障障害者パソコン講習事業」を開始したのが1989年であり、パソコン通信を利用したり、講師が受講者の自宅に出向いたりなどして、居宅のまま職業訓練が受けられることを可能にしていった。また、連動して雇用や就労へのサポートも充実しはじめ、事業所自らが受講者を職員として採用するようになり、教育と就労のシームレスなサポートが新しい在宅就労支援のシステムとして、東京都のみならず、その利用価値を認めた産業界などからも注目の的となった。

  しかし、こうした事業によりプログラマーやシステムエンジニア(SE)として就労をしていく人が増えていく一方で、「在宅で働く」ことについては、なお一般に広く普及しているとは言えず、受け入れ企業の理解や環境の整備という課題はもちろんのこと、労働諸法規の未整備も結果的には在宅雇用に踏み込めない一因となっていた。その結果、充分な職業能力を身につけたにもかかわらず、なお通勤や移動が困難なため引き続き自宅生活を余儀なくされる人や、無理をして通勤を続けた結果、移動に伴う負担が徐々に顕在し、体調を崩してしまう等の問題も見られるようになり、いよいよ在宅就労を合理的配慮のある仕組みとすべく、その対策を講ずる必要に迫られるようになった。これらの動きは、政府レベルでさまざまな対策や研究がなされることのきっかけにもなったが、いずれにせよ「まずは雇用の分野を」ということで、在宅勤務による雇用をどのようにすべきかを焦点にしたものがほとんどであり、雇用以外の働き方を希望している人やその支援機関等においては、引き続き「シャドウ・ワーク」「電脳ワーク」といった内職的な働き方の試行が続いており、かつその内容や実態もあまり知られていないのが実情であった。

 1990年代に入ると、障害の有無にかかわらず多様な就業形態が各方面で論じられるようになった。後に「IT革命」と叫ばれたように、通信技術の飛躍的な進化とインフラの普及、またこれらの低コスト化も在宅就労、あるいはテレワークというスタイルを、多様な働き方のひとつとして大きく後押しする格好となった。

  こうした変化の中で、通信関連事業を行う企業などをはじめとして、障害者を在宅で雇用する仕組みの導入と、実際に採用を開始するケースも次第に生まれてきたが、その人選を行うプロセスにおいて、トライアル的に仕事の請負を委託するケースなども見られるようになり、障害者の在宅就労のなかに「委託・請負」という働き方が定着していくきっかけのひとつとなっていった。特に重度障害を理由に、就労時間の制約などがあるために就職や施設利用が困難な人にとっては、時間や場所にとらわれずに自分の身の丈にあった働き方ができるものとして、請負形式の在宅就労を希望する人が次第に増えていった。こうした希望を受けて、職業訓練や職業紹介を行っていた団体などが、その受講生や就職希望者などを対象に仕事のあっせんや仲介を行うようになり、質の高い実績が次第に評価されるようになると、企業においても人の採用だけでなく、仕事の提供、発注を検討するようになり、請負の機会も徐々に増えていくこととなった。

  しかし、こうした着実な成果が見られるようになったにもかかわらず、請負による在宅就労は、依然として雇用や福祉的就労の施策とは異なる分野として考えられていたため、公的な推進制度や支援制度とは無縁のものであった。当時すでに制度として進んでいた、法定雇用や福祉就労政策等とはまったく別枠のものとして、あくまで民間の団体の活動の一環という位置づけで、その団体や、働く本人の努力・経験値に依存したままの状態がしばらく続いていた。


注:三菱財団福祉助成金事業(当時)「重度身体障害者に対する新職種としてのコンピュータ・プログラマーの養成と、その在宅就労システムの実践的研究」 1979年〜83年、東京コロニー実施

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